25年前の当時既にその由来を知らない者が多かった。 なにしろ最大のヲタク誌である月刊OUTでは禁句になっていたようでマスコミにその単語が出ることもまず無かった。 当時も掲示板上で何度も話題なったが皆こぞっていい加減な事を書いた。 しかしその当時でもその由来を説明するのはちょっと難しかった。面倒だし面白くないのでだれも書かなかった。 ちゃんと説明するにはさらに5年ほど前の状況から説明しなければならない。
70年代の社会状況は80年代とは大きく異なる。
学生達はまだ左翼だった。
その価値観からすれば商人は卑しい存在。銀行員なんてのは商の中でも最下位だろう。
左翼というよりも単に江戸時代に近かったのかもしれないが。
とにかく商社マンなんていうのは学生の間では嘲笑の対象だった。
商社マンカット、と言うだけで笑いが取れた。
経済紙の与太記事で「我々銀行マンは〜」などと書いてあるのを見つけては皆で大笑いをして居た。
ところが80年代になると状況は急変する。
とにかく会社中心の生活が当然。会社人間という言葉も死語になってしまうほどであった。
だからサラリーマン同士の会話も一人称がウチ(の会社)、二人称がお宅(の会社)になった。
そのうちやらお宅やらは当然資本金の大小、それよりもマスコミ的知名度がより重要であり。
となれば当然その頂点に位置するのは最大手広告代理店であり、その電通に出入りするライターの自分こそが現代社会の頂点に位置する。
とあるフリーライター氏が考えたとしてもそれほど不自然ではない。
まあそのような状況があった。
ところで、当時のコミックマーケットはサークルが主体だった。
同人誌といえばサークルの会報だからその売買に来る同人諸氏もなんらかのサークルに属して居る事が多い。
よってその一人称はウチ(のサークル)であり二人称はお宅(のサークル)になるのは当然の成り行きである。
でそのサークルも当然大きいほうが偉いと思っているオタク氏が居ても不思議ではないだろう。
当時の晴海国際展示場ではその同人諸氏達によるさぞ熱い会話が繰り広げられた事であろう。
そこに現代日本の頂点を自認する電通出入りライター氏がのこのことやって来たらどうなるだろうか。