電気通信民間開放

誰も解って無い電気通信開放

1985はプラザ合意と電気通信開放の大事件があった。 マスコミは連日新時代の到来を告げ三鷹のINS村(ググっても出てこない)レポートなどをやってたはずなのだが既に黒歴史なのかWeb上に痕跡が無い。 我らが宗男課長肝いりのQCサークルでも数度に渡り勉強会を行ったが「INSってなんすか?」のギャグを繰り返して終わるだけであった。

夏になるとパソコン誌にも通信とかモデムといった単語が頻繁に出てくるようになる。 小田原マイコンクラブとかのパソ通関係の単行本も出て居たと思う。 その頃は既にIBM/JX系のパソ通で湘南から実況中継なる試みも有ったとか・・(これもググれず)。 しかし当時は未だ日本の電話線に合法的に繋がるモデムが無かったし、ましてや自動着信などは有り得なかった。 電話か来たら手動でカプラーにセットするということになって居たのでしょう。 当時の数少ないパソ通解説記事には輸入モデムを違法に繋ぐか、さらにそれを違法改造して自動着信にする方法が載っていた。 リレーを付加して自動着信に改造するのは翌年1986あたりでも行われて居た。 しかしその頃にはついに国産モデムの 「マイルーパー300?」が出たようだが店頭で見たことは無し。 秋には AIWAの PV2123 (300bps全二重 + 使い道の無い1200bps半二重、 ダイアル機能無) が三万円ほどで近日発売されるという広告が出る。 最初の国産量産モデムだからググればいろいろ出て来るでしょう。
http://www.urban.ne.jp/home/ikkyo/gomi/isdn.htm
他所のサイトですが写真は見えるでしょうか・・
何十年も持つような頑丈さですがまったく無意味。一年以上使った人は居ないと思う。

この1985夏には既に有料パソ通サービスが出てます。 多少有名なのは 雑誌I/Oの工学社の Telestar
なんと書き込み量に制限があります。 一日の書き込み回数制限か書き込み文字数制限だったか、或いはその両方だったか。 まったくの阿呆としか言いようが無い。 しかし特筆すべきはこのTeleStarに雑誌Fanroadのコーナーというのが有ったらしい事。 実はそれ目当てで1986の夏頃に入会したのですが既に終了し、それらしき痕跡がやっと認められる程度。 当然のようにいつの間にかTeleStarは消滅。I/Oはドンくさい印象を振りまきながらも続いていきます。 そして秋にはアスキーネットが始まりました。 そしてこのA社のアスキーネットの仕様がパソ通界の仕様だけでなく日本の電気通信システム、日本語の電算処理に甚大な打撃を与えることになります。

なんか面倒なので簡単に流すと、

  1. アスキーが漢字UNIXを発売。DEC/VAX用なのに漢字コードはDEC漢字(EUC)ではなくMS/SHIFT_JIS
  2. アスキーネット開始。 通信界の掟を破って8bit SJISをそのまま流す。役人はこんな時だけ放置。
  3. PCVANその他後発組がこれに習って SJIS直送を始めた ・・ (PCVANは7bitJISも選択可)
  4. 最後発のNiftyの頃にはSJIS直送が常識と化した。
  5. それに習って国際線のVENUS-PもSJIS化?!
  6. 日本のCプログラマー達はSJIS漢字の \ の処理で苦しんで膨大な時間を費やす。
  7. 十年後 Webの漢字コードがカオス状態となる。
  8. 結局 Unicode 移行で収束中だとか。
  9. ちなみにこれは SJIS