私的コンピューター史

80年代初期

FORTRAN実習

五千円程払うとFORTRANの講座を取れるというのを聞いた。 実習なので学校にある大型電算機を実際に使ってプログラムが出来るようだ。 五千円は無いが、講座を取っている者のアカウントを借りれば電算機を使うことはだけは出来る。
講義も出れるがたいしたことはやってなさそう・・

端末ではなくパンチカード・・正確にはマークシートでした。 FORTRANの文を一行ずつマークシートして輪ゴムで止めて? 工学部の建物のどこかに有った籠にほうりこむ。 すると翌日あたりには SYNTAX ERROR などと打ち出されたラインプリンターの用紙が置かれているので持って帰る。 電算機の実体を拝むことはできない。 それはまあどうでもいいが。ラインプリンターキャラクター打ち出ししかできないが横に120桁あるので多少のグラフィックは打ち出せます。MZ80の画面よりは高解像度になる。
丁度講義でやってた水素原子の電子軌道などを打ち出すとそれなりに感動がありました。 化学科の同級生達に見せた記憶もあるけど受けた記憶は無いね。まあそんなもんか。

最初はマークシートなのでがっかりしたが、 パンチなどしてたらカードがいくらあっても足りない。
しかも、その数年後!!実際メインフレームのパンチカード穿孔機を打ってみたのだがなんとキー配列がかなり違う。 数行のJCLで四苦八苦でっあった。
とにかくマークシートを持ち歩いた。 なんかカードケースは無いものかと思ってたら図書館で文学全集のケースを大量廃棄して居たので一つ拾って来た。
ここで不思議なのはカード数十枚で電子軌道のプロットプログラムが書けるのだろうかと。
おそらくマークシートはなんらかの圧縮記法が可能だった。 FORMATとかWRITEがマーク一個に対応してた?
或いはカードケースは複数持っていたか。
ちなみにマークシートカードは生協で購入します。それ以外に考えられんし。
文学的カードケースはなかなか渋いと評判が良かった。

実習FORTANメモ

WATFOR, 教育用 Waterloo FORTRAN

教育用ということでいろいろ制限がありました。
ループ内からGOTOでループ外に出れないとか、コンパイルが通らなくて苦しんだ記憶が。
その他にもなんか有ったが短い講座期間では深入りはできない。

ついにマイコンシステム製作

そこでとにかくナイコン族ではしょうがないので自作でもするかと。 PC8001を買うという発想はまったく無かったしTK80とかのトレーニングキットも偉い高額でとても手は出ない。 とにかくZ80を手に入れないと。
わずか数千円で買える事は調査済みだったと思う。 しかし秋月(当時信越電気か?)でZ80Aが千円だったのを見たときは驚いた。 後先考えずに即買い。後はソケットと水晶だったろうか。 後は電源は 6.3Vの真空管のヒーター用トランス、整流して√2倍、レギュレーターを通して5V。 線材は自宅にある工作用のがいくらでも、と非常に安直に考えていた。

当時のマイコン雑誌は製作記事もあるには有ったが参考になるようなものではない。 市販パソコンの改造かSC/MPのようなマイナーCPUを祭り上げてよくわからない記事を書いていた。 専門誌はインターフェースが有ったが図書館では購入してなかったし内容も業界向け、初心者向けではない。 トラ技のほうが参考になった。
メモリが重要である。 そして高い。
PC8001のようなパソコンで使っているDRAMは大容量だがリフレッシュ回路が必要で扱いは難しい。 Z80にはこのDRAMリフレッシュ回路も内蔵しているのだが扱い辛いらしい。 トラ技の連載解説ではZ80のマイコンシステムに別個のDRAMコントローラーを使用して居た。
そこで取りあえず1KB程度のSRAM (二千円くらい?)を購入。これをリチウム電池でバックアップ。 トグルスイッチを並べてアドレスとデーターを指定して一バイトずつ書き込んで行く。
スイッチはデーターは八個(必須)、 アドレスは取りあえず八個あれば255番地まで書き込める。 という訳で16個。これをアルミケースを加工してずらりと並べる。 ここらへんが一番金がかかった。

一号機は何も考えずに真空管ラジオに使うような線材で配線したので配線の塊になった。 重量も相当な物に。一本数グラム?の配線が千本近く。非常に不安定。 クロックはCRで数Hzにするとピコピコと一斉にアドレスとデーターに取り付けたLEDが順繰りに光っていく様は壮観であった。 しかし残念なことにZ80のDRAMリフレッシュ機能はOFF出来ないのでアドレスのLEDが0から順に繰り上がっていく様子は見れない。
しかしこれはロジックでキャンセルすれば原始的マイコンシステムのデモになかなか良いのでは。ありそうで見たことは無いし。
とにかく最初のプログラムである 0番地に 0x76(HALT) を入れてRUN (リセット)すると見事に CPUのHALTピン に繋げたLEDが点灯。 あまりの感動にそれでもうだいたい満足してしまう。


10年ほど前に撮影した自作機の残骸
メモ

当時の秋葉の店員

パンチパーマという奴なのか。 よくもまあガラの悪い店員を集めたもので、見かけはチンピラ対応はヤクザ。逆かも。 戦後不法占領した何とか人なのか知らんが言語もちょっと違うのかよくトラブルが有った。 当時と今の秋葉の大きな違いがこの店員の態度である。 秋月が繁盛したのは値段よりも店員の質かもしれない。

内容のある話を求めて

マイコン誌の内容はプログラムの16進ダンプにBASICのリスト、新製品の紹介だからナイコン族にはあまり意味がない。 なんかもう少し内容のある雑誌はないものかと思っていたら。



bit誌はこの後度々引用するが、ハードウェアの話題、プログラミング理論の他に、このようなヲタクの与太話も半分近くを占めて読み物として面白い。
上の記事を改めて読むと坂村氏がTRONでやりたかったのは主にTRON-CPUのほうだと想像できる。 bitのこの号は730円なので古本屋で300円くらいか。 就職するまではあまり買えなかったが(古本屋になかなか出ない)、就職後は派遣先の資料室で存分に読んだという話はこの後で。