私的コンピューター史

70年代

70年代後半になると科学系雑誌にマイコン関連の広告が載るようになった。 当時は(日経)が付いてないサイエンス、科学朝日。
マイコン関連と言ってもDRAMの容量がなんと64Kbitで、シェイクスピアの全著作が「一握りのDRAMチップ」に収まってしまうというようなもの。
しかしDRAMチップは小さいから一握りというと百枚だか千枚だか相当な量になってしまう。 しかしそんな事はまあ誰も気にしない。

ブルーバックスでもマイコンXXというのがいくつか出ていたと思う。
しかしその内容は目覚まし時計だとかオルガンの自動演奏だとかコンピューターならではの機能というのはあまり生かせては居ない。
それでもそんな記事でも熱心に読んで妄想にふけるしか無かった。

それから間もなく科学雑誌にマイコンBASICの特集が載るようになる。
科学朝日だったか、 50万円ほどで取りあえずBASICインタープリタの動くマイコンが作成可能であると。
ここまで来るとマイコンを使った具体的な目標、 テイラー級数の計算だとか三次元モデル(風景画)の座標計算などを思い浮かべることができる。
50万円というのは記憶違いかもしれない。 この頃アスキー創刊の記事で西社長の小学生時代のお年玉50万円をかけてリレー式電卓を作ったとか、これは朝日新聞に載ってたような気がする。
その後を見てもアスキーと朝日はわりと関係があったようで。


70年代終わりの秋葉

理系の学生は暇が無いはずなのだがどうしても秋葉に足が向いてしまう。
定期は飯田橋までしか無い、バイトとか一切してないから電車賃も無い。
それでも秋葉まで歩いて行ったのか定期券を御茶ノ水までにできたのかその他なのか。
実は週一程度なのか。
当時の改札システムにはbugがあってどこかの地下鉄を抜けられるとかそんな話だったかもしれないが、 本筋とは関係ないので割愛。



当時の秋葉原は基本的に60年代と変わりが無いような気がする。
70年代終わりにはラジオ会館のどこかにPETとAppleがデモしていた。 Appleは当然のように手は出せないが、PETの地味な筐体は電源が入って居ても誰も触ってなかった。
キーボードが当時はやりの人間工学的?に作られて居て全体的に丸みを帯びている。 キーも一見それなりに打ち易い。それくらいしか記憶がない。
マイコンショップは秋葉よりも新宿に有ったような気がする。実はその何年か前マイコンショップを求めて新宿を歩き回って結局見つからないという寒い思いも。
とにかく駅前のラジオ会館に通う。
3Fから上あたりがマイコンというよりもパソコンのショウルームになっていて小学生から入り浸っているというのは当時の新聞雑誌記事の通りなのだが、当然マスコミの紹介とは大きな違いがある。
朝から晩まで店のパソコンを操作する「将来有望な小中学生」の実体は単にゲームテープをロードするだけの無料ゲーセン猿。

しかし幸いなことにカセットテープローダー標準装備なのはMZ80くらいだから BitINNのPC8001、日立ゲインのBASICMASTERのほうには寄ってこない。 NEC BitINNはなんか高級ショウルーム過ぎて我々は寄り付きがたい、マシン数も少ない、店員が監視しまくりなのでその下の階の日立GAINのほうに入り浸ることになる。


日立GAIN

日立がいつの間にかパソコンから撤退して居るので日立GAINのはもう話題に登ることも無い。
場所はBitINNの一階か二階下。 ひょっとすると一度場所を移動してるかも。
とにかくラジオ会館の各階を巡ればピコピコとあまり安っぽくない電子音、電子オルガンのような音が聞こえてくる。そこがたぶん日立GAIN。
中はBitINNとは違って薄暗い。 そこが心地よい。
PC8001のようなモニターとは分離したキーボード一体型の筐体。たぶん黒いキー。
作りはやぼったい。
標準で音源が入ってるから本体だけで音が出せる。
家電製品として作ってあるのが自慢で、風呂場にも持っていけるのだとか当時の開発者インタビューに有った。

当然意味は無い。 日立ベーシックマスターは既にLevel2(パソコンの名前)になってて、それから何年か後にし Level3 という製品が出たような気がする。 立派な筐体でビジネス用途を前面に出していたが、Z80ではちょっと方向性が違うだろうと思った。
まあ皆思っただろう。

日立ゲインはだいたい六席か八席くらい有って、ベーシックマスターLEVEL2各機を自由に使えるようになって居るのだが、グラフィックが無いのであまりやることが無い。
BASICプログラムからドレミファを一通り出してみるとあとはFORTRAN演習の例題を引っ張り出してBASICに翻訳しながら打ち込むくらいか。
結局日立GAINは単なる休憩場所として利用されて居ただけか。

しかしPC8001にはなかなか近づけない。

夜になるとMZ80に取り付いてたゲーム猿達は帰宅するか塾?に行ったりしてシャープのショールームも閑散として来る。
しかしMZ80はBASICかなんかを標準カセットテープでロードしないとなにも出来ない。 メインフレームを意識してか客が好みのOS(実際はゲーム)を買わないと何も出来ない。
マシン語プログラムを入力することもできない・・これには驚いた。
店頭で取り説を読んだところによると、任意の番地からスタート、ブレークポイントの設定?、画面上に任意のアスキーコードを表示。といった最低限以下の機能しかない。
こりゃ駄目だろうと思った。 だいたいグラフィック表示には別売の本体と同価格くらいのアダプターが必要で、当然誰も使ってない。
結局店頭でMZ80デモソフトを眺めるくらいしかやることは無いのだが、それがまたお粗末な出来だった。
ファッションショーというデモが流れていたが ■と□を組み合わせた程度の 20x20dot程度のキャラしか出せないのでなんともシュールな出来になって居た。
それを唖然として見届ける通りすがりの客達


しかし思わぬ穴場を見つけた。
新宿(秋葉原)などにある普通のデパートのパソコン売り場である。
ここは競争率が低い。 一時間ほどかけてカラーグラフィックが動き回るプログラムを書いて実行すると通りすがりの客が面白がって集まって来た。
この「店頭プログラマー」は全国に何人か居たようでマイコン雑誌のRAMとかI/Oの片隅で一応話題になっていたかもしれない。



実は大学生協にもPC8001は置いてあったのだが、地下で鼠を追いかけるゲーム?がデモしてて当然のように誰かしら張り付いてて使うことはできない。 しかしレジの横にカシオの小さいCRT付き電卓のような見た目のパソコンが置いてあって、これは白黒だがグラフィック付である。 これはまあそこそこ使えた。

ところで、この店頭プログラマー達はどこでキー操作を覚えたのだろうか。 ブラインドタッチができないと店頭プログラマーはつとまらない。
デパートの文具売り場のタイプライターで覚えたのだろうか。 事務系専門学校なんかには並んでそうだが、一般にはあまり用は無い。
しかしその数年前のラジオ深夜番組(ヤングタウン東京?)にタイプライターのCMが流れてたから意外と普及してたのだろうか。
ちなみに当方の場合はなんかその頃から手で文字を書くのが億劫だったので英文タイプを使って居た。
当時の記録もその英文タイプのアルファベットで英文らしきものを打ってあるのだが、 今見るとほとんど意味不明である。 非常に強度の高い暗号文に成って居るのはなんとも遺憾である。
強度というのは強いか弱いかであって高低では無いような気がするのだがいかがだろうか。 Webではほとんど全部暗号強度の高低という記述になってるのだが国語辞典がそうなってゐるのだろうか。 なんとも奇怪である。 しかし我々の装甲強度は非常に低いとか思わず口走ってしまうし。