自作の personal computer (CPUは市販のもの)

四号機

1981 〜 1982 頃制作したマイコン三号機。 初号機は蒲鉾板と共に木製の机と一体になったデスクトップ型。 クロックはCR発振で数HzだったのでLEDの点滅によるデータ−の移動が目で追えた。 もっともZ80はリフレッシュが入るので見にくいのだが。

二号機はもう少し体裁がよくなったかもしれないがよく覚えてない。 そして三号機。やっとコンポーネント化される。


二号機まではアドレスとデータ−入力をずらっと並べた(d8+a10?)個のトグルスイッチで行ってたのだが、 SRAMでメモリバックアップが可能になったのでアドレスもデータ−もDipSWに簡略化し、大幅にサイズを縮小した。信頼性も上がった。 しかし当時のSRAMの高さには泣いた。幾らかは覚えてないのだがどこかのWebに記載があるでしょう・・

二つの丸ボタンはリセットとNMI。 八連のDipSWはデータ−入力はわかるが、アドレスが入力がよくわからない。 Z80はリセットで0番地から、 NMIで66H?番地から必ずスタートするので二つのモニターを同居させるのが容易でした。

四連のDip二つでやってたのだろうか。 緑のLEDはデータ−、赤のLEDはアドレス。残りはHALTと後二つはなんだろう。 三号機のカード類は四号機に流用。

さすがに二十年近く経つと忘れますなあ。 ちなみにこれのさらに二十年前というとまだ真空管全盛時代?だったりする。

  1. 1960 真空管時代。 TRは携帯ラジオ程度。
  2. 1970 TV回路の大半がTR化。 SONY はオールトランジスター製と称して居たが・・
  3. 1980 マイコン登場。インベーターゲームが一世を風靡。パッションPのアレですな:-)
  4. 1990 いつのまにかOSが MSと*NIXの二系統しか無くなってる。
  5. 2000 マイコンがシリコン素子の限界に近づいてるような。
  6. 2010 原点に戻って球アンプとHF電信が流行る か




四号機

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